使わない分を繰り越して、年間40日の有給休暇。プラス自分の入院とか傷病とか「家族介護」を理由にした別枠の有給が20日。これだけ聞いた異業種の知り合いなどは絶句していたけど、実情はせいぜい7日も使うかどうか。上司や同僚の目を気にして使えないんじゃなくて、休んでる間に押し寄せる「至急」とか「重要」とか「なる早」と言うタイトルのメールが怖くて。そんな状況の中、グループホームから春の遠足に行くので都合のつく家族は同行してほしいと言う手紙がきた。まさに、有給の使いどころか。
自転車の練習がしたくて自分勝手に休んでいた頃の俺、さぞかし楽しかったんだろうなぁ。
まず、お袋の住んでいたアパートに行って溜まっているだろう郵便ポストのパトロール。部屋に入っていつも感じるのは、住んでる人のいない住居の、「空気の動いてなさ」。衣類やタオル、コタツ布団のめくれ具合は一年前のままなのに、全ての家具とか食器とか家電は、もう帰ってこないあるじをずっと待ってる。そんな空気感。
徐々にではあるけど、行くたびにゴミ袋二つくらい色々捨てることにしている。この日は、郵便はがきの廃棄。かつてお袋が仲良くしていた人たちの古い年賀状とか暑中見舞いとかのハガキが大切に乱暴に保管してあった。
ばっさり捨てる。
なんだか、遺品整理してる気分になってきて、ぼんやり考え込んだりして、手が止まる。
その中に、ローラー娘が書いた、おかんの誕生日とか敬老の日の手紙が、当時の年齢の字のままのがあった。君の大好きだったばーちゃんは、今記憶の喪失に怯えながら一生懸命生きてる。けど、君も育児で懸命。人間みんないつでも一生懸命、何か悲しい事に覆い尽くされないように
頑張るしかないのかな。
10時半にグループホームへ行くと、数台のワンボックスに車椅子やらを積み込むスタッフがいて、自分たちなんかが気楽に出かける雰囲気とは違う感じがひしひし。
大阪・中之島にあるテラスを予約してくださってたので、そこでランチ。
自分に、手伝えることあるんだろうか?と思っていたけど、スタッフの皆さんは手慣れた感じで「動じず」。教科書通りの認知症の人は、目の前にあるパスタに手を突っ込もうとしていたり、天井で回る扇風機の羽をずっと目で追っていたり、だただハラハラ見ているしかない。
すると、こんな時にも職場からスマホに電話が入る。メンバーが有給で休んでるのも気がつかないほどみんな仕事に追われてる。
色々悲しい。
お袋の恩人とも言うべき「ちずるさん」とバラ園のバラたちに囲まれる。記憶がすり減っていこうとも、綺麗な花は綺麗と言うし、天気が良いと天気が良いと嬉しそうだし。
自分が嬉しいより、家族が嬉しそうにしている方が、
実は嬉しいかな。
自分が見るバラと、ホームの人たちが見るバラは、違った風景なんだろうか?その人たちにも赤くて綺麗で揺れていることが伝わればいいな。
すぐに忘れてしまうかもしれないけど、この一瞬だけでも、赤い色が心に染み込んでたらええのにな。
ホームの皆さんどうもありがとう。
バラたちもありがとう。
お天気、ありがとう。
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