次の場所
容量が一杯一杯で投稿できやんくなった。
クラウド借りてパール書いてルビー書いてCSS書いてとか、もう、そんなん死んでもやりたくないから、画面設定も体裁もグダグダで
いこかなと思う。
昨日、60歳になった。
けど、赤いものを身につけることもなく、相変わらず人生のほんの一個のマイルストンを通過しただけって感じで、1日が終わった。
ローラー娘がショートケーキを買ってきてくれて、ロウソクに火をともすと、吹き消したくて仕方ない孫氏が虎視眈々と炎を狙う。
ブログの便利な機能を使って、10年前を遡ってみたら、ハワイ島に行って水しか出ないシャワーの民宿に泊まって、晩飯はポテチとビイルだけの貧相な、けど楽しい夜だったって投稿してた。その後、将来の10年後なんて想像もしてなかったし、テキトーに生きてたら60歳なんか自動的に来るわと思っていた。
お袋がグループホームに入ったり、孫氏が我が家の新メンバーに加入したり、ローラー娘が戻ってきたり、自分は、、、自分は目がうまく見えなくなった以外は無職になってしまって、今日も午前中に一通りの家事をやったらすることなくなってしまい
さっき風呂やから戻ってきたばっかり。
先週あたりから、企業年金のお知らせハガキが来るようになって、大した額ではないが労働しなくても小銭が舞い込んでくる歳なんだと、周りから言われてるカンジ。
お彼岸なので、ご先祖の眠る京都の墓に行って、相談してみた。ソラからの返事はないがきっと「思った通りに生きてみろ」と言われたことにしてもいいかなと。
そんなとこ。
次の10年もすごい速さでやってくるんだろうな。頑張って遊ばないといけないな。
仕事を辞めてからここまでは、ええ流れで日々過ごしてきたけど、本日「どえらい穴」に落ちてしまった。
電気工事士の実技試験申し込みが出来ておりませんでした。
5月に筆記試験受けてまぐれで合格し、本来であれば7月に実技試験受けて合格するという青写真を描いていたけど、小屋のバイトがあるんで、ほんなら12月に実技受けたらええわ(筆記が免除やし)と。
小屋の休暇で街に降りたついでに実技の参考書を買い、細切れではあるけど休み時間に勉強するようにしてて、満を持してネットで受験の申し込みをした「はず」だったが。
なぜか今日、胸騒ぎみたいなもんがあり、受験サイトで申し込みを確認をしたら。。。。「あらへん」。焦って電話で問い合わせる声も震えるが、相手の反応は虚しく「ありませんね」と。
結論として:
来年5月に、最初っから筆記を受験せねばならならい。
もう一回まぐれというか奇跡で合格せねばならない。
しかし:
八ヶ月先までモティベイションが続くのか?
アホは俺や:
不安定なネット環境で申し込んでそのあとちゃんと確認しなかった自分が一番悪い。情けない。
無職ってのは自由であると同時に、その自由をいかに自分でコントロールするか。誰も叱ってくれる人はいない、褒めてくれる人もいない、
生きがいとか達成感の設定をどうするか。
どうやったら立ち直れるのか正念場。
早く次の挑戦見つけやんとあかん。生きていくのは難しいわ。
写真は日記と全然関係なし。
一人で昼酒でもと思い、近所の蕎麦屋へ行った。
ネギ味噌と塩辛をあてに、米から作ったドリンクをぼんやりしばく。軒下の風鈴の音もええあんばい。
あとは二八を一枚たぐっておしまい。
バイトから戻って奥飛騨行った時の写真。まだ、売れてなかった。流石に7000まん延をぽんと出せる人はそーそーおらんってことか。
温泉がぼんすか沸いてるここに移住も考えたが、なんとなくあと一歩が踏み出せなかった。
物への執着がなくなった自分に檄を飛ばすために靴を買ってみた。
こうやってぺちゃんこにして、腰にぶら下げて岩を登る仕組み。
外を歩きつつ、自分にもできそうなバイトの張り紙を見たりしてるが、労働意欲が湧かないのだから仕方ない。
次の挑戦なのか冒険なのかわからんけど、色々検索してはあーだこーだわくわく妄想する日々が続いております。
※いわゆる「纏足(てんそく)」で登ります。
早くも「山の暮らしロス」で困ってる。バイト仲間からのLineには「昨夜は寒くて毛布で寝た」との連絡が。
そういえば、山荘には「蚊」がまったくいなかったし、飛び回るハエも手で捕獲できたほど気温低かった。
しばらくぶりの銭湯では、ルーティン(電気風呂、サウナ、水風呂、主浴槽の順番)を間違える有様。
山小屋バイトのメリット。
・環境が良い
・涼しい
・金が貯まる(使うことがない)
・対人ストレスが楽勝(会議、資料作成、WG、急な打ち合わせやくだらん飲み会が全くない)
残念だったこと。
・NETが遅すぎる(wifiあらへん)
・賄いの95%が冷凍か、揚げ物
・TVが見られない(世間の動きがわからん)
・休暇でもいくとこがない(周りの山のレベルが凄すぎて、休み時間にいけない。林道は全て崩落してて散歩できない)
・お菓子が食えない
・夜中に星空を見ようと小屋の外出たら、鹿がうじゃうじゃいて怖かった
・カメムシがめちゃくちゃ多い
・予定通りに到着できない客が毎日おる
・林道が閉鎖された後の時間でも、街まで車で送ってくれると思ってる客が毎日おる(当然、歩いていけ!と言う)
けれど、
ストレスが全くない仕事ってのを生まれて初めて体験した。
働く仲間同士、思ってることがあればその場で言い合う、その場で解決、結論を先延ばしにしない、実現不可能なことを議論しない、理想論を話さない、正しく喧嘩する、素直に謝る、
みんなで一緒に三食いただく。
こんな簡単なことがなんで町だとできないんやろねぇ。
昨日、午前10時始発の林道バスに乗り、夕方6時に自宅に帰ってきた。
「インクノット」っていう山小屋バイト専門のWEBページで色々検索して、自分を雇ってくれそうな(年齢的に)小屋を探した後、いつ買ったか忘れたような本を家で見つけて、その山荘のことが書いてあったので応募したって感じ。
夜行バスで到着して早々に、小屋の生命線である水場の掃除を任された写真。
飲料水の乏しい稜線の小屋の苦労を聞いていたので、助かった気分。同時に、水の大切さとかありがたさが身に沁みる。
山荘は林道の終点にあるので、ヘリや歩荷に頼らなくてもいいとは聞いていたけど、それでも食材が毎日潤沢にあるわけではない。この冷凍ハンバーグも毎日続いて苦しんだ。奥の白飯だって、食うものがないから腹に詰め込むしかないので。結局体重は3キロ減。
荷上げのヘリポートは、晴れの隙間を狙ってバンバン飛ぶ。トイレも小屋の資材も燃料も野菜も飛ぶ!
多い時は40往復。
街に降りた時に100均で買ったルアーと100均で買った竿を使って、山荘の目の前の渓流で生まれて初めて岩魚を釣った。20センチほどのが3匹。塩焼きにして賄いに。全く釣りの知識がないし、道具も100均。
富士山に次ぐ我が国第二の高峰「北岳」も普段着で登れたが、環境が許せば登山も釣りも特別な道具っていらないんだ、それが日常なんだと思い知ったよ。
生まれて初めての遭難救助。遺体搬送する救助隊の凄さが身に染みた。自分は歩けなくなった人を背負っただけなので幸せ。けどもう、2度とやりたくないな。
できることは一生懸命やらなくちゃという気持ちが裏目に。キッチンや賄いまで担当になってしまい、重宝されたのが仇になり、どんどん休暇が減っていった。ずるいかもしれないけど、次にどこかでバイトするときは、できないことにしよう。これ大事。
社員さんやバイト仲間に見送られて帰阪。寂しいよりも、やっと帰れる安堵感。
毎晩、寝床で読んだ本。自分の「熱源」ってなんだろうと考えるきっかけに。
トマト農園を廃業し、奥さんと二人でバイトと旅を繰り返しながら暮らしている熊本のMさん(53歳)
ひきこもりの二人の子供をもつ千葉県の主婦Kさん(50歳)
本当の自分は誰なのか悩む、フィリピンと日本のハーフの青年(28歳)
ノーてんきな女子大生(19歳)
バス会社の経理課からいきなり支配人に抜擢された社員さんほか、社員さん3名
このメンバーでの船出はともかく難航を極め、何度も、やめて家に帰ろうと思った。
不便なことばっかりあって、お互い理解し合えないことが沢山あって、けど24時間一緒に暮らすしかなくて、それでもこの宇宙船は迷走しながらも飛び続けなきゃいけなくて。
定年を待たずに会社を辞めたときに、この先何歳まで新しいことに挑戦できるんだろうと漠然とした不安でオロオロしたもんやが、年齢なんか関係ないわ、悩んでる間にどんどん歳いってまうわ、明日より今この瞬間が一番若いやん、行動してる限り止まることはない成長し続けていけるかもしれんやんという根拠のない思いは
間違ってなかったかな。
いつか死ぬ時に、「あれやっといたらよかったなぁ。。。」って後悔、一個減ったよ。
次はどんな挑戦しよかな。
最近のコメント