長すぎたかもしれない
平成31年4月31日
予報通り朝から土砂降り。その中を下道を使って再び奥飛騨・雨の上高地へ舞い戻った。自分たちが尻尾蒔いて撤収したときにあたテントのいくつかは、そのまま健在。みんな根性あるよな。自分、ちょっとだらしないな。そのだらしなさをなお開き直って、
有料のケビンを借りてしまうという。
キャンプ場に併設されている木造平屋建てのケビンは、布団はもちろん電気ガス・調理道具一式、炊飯器まである。蛇口をひねるとお湯が出る。液晶テレビで平成の特番まで見られてしまう。なんか「自然の中の異空間」だとぼんやり思う。その軽い背徳感の裏側にあるのは、まぎれもない「安心感」。
令和1年5月1日
とうとう朝から晴れた。
残り日数を考えると、槍ヶ岳に登っておりたあと、取って返して涸沢に行って北穂高や奥穂高に登るのは無理過ぎる。とりわけ「体力的」に無理過ぎる。
こうなると行先はひとつ。”槍・穂高の展望台”と言われる蝶ケ岳へ登るしかない。なんだかんだと言いながら、結局我が家にとって3年連続GWは蝶ケ岳になってしまったが、暴風雪でテント倒壊・あわや遭難!の一昨年を含めても、どれも思いで深い。しかし、冬のテント泊装備、アイゼン、ピッケル、くっそ重い冬用シュラフなどでまったく足が前に出ない。
山頂付近のテント場に付くと、有料物件(強風をしのげるはい松地帯)がほとんど無い。腹ペコ、薄い空気、疲労のピークの三重苦の中 背負ってきたスコップで雪面を掘り進め、テントを建てると、小池さんと二人その中に倒れ込んだ。
平成1年5月2日
予報通り一晩中・風速17メートル前後の風に吹かれながらウトウト眠った朝。外に出ると降雪のためテントが少し埋まっていた。
快晴、しかし相変わらず強風の中、稜線を歩き、冬毛から夏毛に変わり始めた雷鳥に出会ったりした。目の前には穂高の圧倒的に優しくて強い威圧感。
昼過ぎに上高地に戻りテントを建て、酒を飲んだ。
平成1年5月3日
ぼんやり。ただひたすらにぼんやり。口をアホみたいに半開きにして、ぼんやり山を見て過ごす。
やりたくないことはこの場には何一つ存在しない。美しい山岳が目の前にあって、新緑の森がわさわさ揺れていて、梓川の流れが人里に向かって流れていくのをぼんやりみつめるだけ。
つづく
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント