時々の絵を描く
”週刊長男”。
ミシンを運び込んだその後のお袋を見に行く。やはり小さなテーブルが無いとミシン掛けられんという。ま、そうだろうな。近いうちに買ってくるわと約束。
いつも隣室の「ちづるさん」と一緒に居て、たわいもない話しをしているけど、お互い一人暮らししていたときより遥かに脳が活性化されているのが分かる。
ホームの人の話しだと、お袋しかり、ちづるさんもしかり。
ちづるさんは足腰が少し悪だけで、この人のどこが認知症なんだろう?と思うほど、ユーモアがあり、優しくて、自分などが部屋にお邪魔すると、出す座布団がない、出す一杯のお茶が無いとすごく申し訳なさそうに言うので、いつも恐縮してしまう。
ちづるさんは家族から何の説明も無いまま(本人いわく)ある日突然ここに連れてこられて、ここで生活するようになったらしい。その時の心境を「事情がまったくわからず突然連れてこられてご飯を出されてそれを食べてあとはただひたすら自室のドアの木目を数えて過ごしてた。けど、悲しいとか寂しいという感情は不思議と湧かず、
”そのときどきでえーかかなしゃーない”(その時々で絵を描くしかない)
と思ったそうだ。
つまりどうにもならないけれど、その時その時おかれた状況なら、そこでそれなりに暮らしていこうと決めたこと。
ちづるさんのこの言葉、あとで何度も何度も繰り返して心のなかで呟いたら、
自分もいつかそう思えるように、がんばったり、がんばらなかったりして、生きていこうと思えた。できないまま一生終わるかもしれんけど、
絵を描いていこうか。
ちづるさん、元気で長生きしてな。
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