少しの冬と少しの春
家でふさぎこんでばかりいる自分を気遣って、長期出張から戻ったばかりで疲れているだろう小池さんが、気分転換にとソトへ連れ出してくれた。
北陸自動車道を敦賀で降りて、越前海岸沿いを走る。敦賀の街並みや道路は、サイクリングイベント「グランフォンド福井」で何度か走って、そのときの気持ちや光景が鮮明に残っている。
出発が遅かったので日暮れが近い。一瞬の視界の中に温泉の看板が見えたので、駐車場に入ってみた。
入湯料510円払って湯船につかる。天然温泉だが若干消毒薬の匂いがする。けれど、この湯船からそして休憩室の窓から見た素晴らしいであろう洛陽に、あまり感動していない自分に驚いた。
温泉からスグの場所にある道の駅をねぐらに。
敦賀市内のスーパーで買っておいた地物の刺身を食い酒を飲む。シュラフにもぐり込んでも夜は結構冷えた。
翌朝は快晴。
眠りの浅いのは登山のテントで慣れているとはいえ、寝違えたようで首が痛い。
1860mmも車幅あるのに、室内がそんなに広くないのが不思議な車。
富山や金沢の山の帰り、必ず立ち寄る北陸道・杉津SAってとこがある。ここの「おろしそば」が食べたくなった。
けど、現在地からだと逆方向に戻ってICを探すことになる。それなら従業員用の道路があるんじゃないかと思って、勘をたよりに山道を行くと、見事、おろしそばにありつけた。
こんな小さなことでも楽しいなぁと思いながら車を走らせていると、ケータイに着信が。
SAで停まって恐る恐る画面をみると、、、いつもの上司からだ。一気に気持ちが急降下し血圧が下がるのが分かる。心臓がどきどきする。さっきまでの気持ちに大きくて黒くて分厚い風呂敷をかぶせられたような感じ。
曜日や時間とわず仕事をしている人は部下もそうあるべき、いやそうに違いないだろうと思って、深夜、早朝、休日にも仕事の指示をしてくるんだろうか?
以降の記憶があまりない。小池さんに運転変わってもらってひたすら助手席で眠っていたような気がする。
------------------
旅行に行く前日、実は仕事の面接に行ってきた。
まったくの異業種で、受付と顧客対応、残業無し。給料は今の1/3。鉄道会社のグループ企業の契約社員。
生まれて初めて履歴書なるものを書いた。やつれて酷い顔した写真を貼る。どうせ二言三言聞かれる程度だろうと思って望んだら、ちゃんとした会議室に通され、スーツを着た人事担当の方が二名。
自分の今までしてきた業務の事や仕事に対する希望を話し、最後には、もう辞めるつもりでいますので何のお力にもなれませんけどと前置きしたうえで名刺交換までしてしまった。
転職の面接で、現職の名刺交換なんてするアホいないだろうな、、、、。
その場で一応採用の返事はいただけたが、返事は保留にした。
-------------------
春分の日、朝からの雨音を布団の中で聞いていたら電話が鳴った。
お袋がグループホーム入居の相談がしたいと。認知機能の衰えが自分で自覚できるうちに入居を決めてしまいたいと。以前も同じような相談を受けたが、そのときはお袋の状態がよくなくて、悪く言えば「支離滅裂」。
けど、この日は普通に会話が成立し、状況を理解・認識できるので、施設の見学に(二か所)回ってみることに。
少しでも長く在宅でと思うのがふつうなんだろうけど、この人の場合、家事全般はまったく普通にこなしているし、歩くことや運動機能は自分なんかと変わらんくらい。なので、デイサービスやデイケアを必要としていない。
この人が不安なのは「自分がおかしくなってゆく恐怖と不安」。しかも決まって真夜中に。
出した結論としてはまずいっぺん入居してみる。やっぱり一人きままに自宅がいいってことになったら退去すればいいやってことに。4月になったら手続きしに行こうと思う。
-------------------
夕方、ディーラーへ行き、冬タイヤから夏タイヤへ交換。
今まではアパートのベランダに置いてあるタイヤを台車に乗せて14階からおろし、ジャッキを上げ下げして汗だくになり腰痛に怯えながら交換していた。
けれど、年間保管料1万円でタイヤを預かってくれて、5千円で交換と調整してくれるってサービスを契約した。
235/50 18インチなんて馬鹿でかいゴムとアルミの塊4本を担ぐなんて、もう無理。
まっているあいだ、高級なお菓子と高級な紅茶をよばれて待つのも悪くないなと思った。
-------------------
月曜日、この世の終わり様な顔(小池さんいわく)して出勤し、件の上司から矢継早に指示が飛び、もうほんまにアカン、昼休みに転職先へお願いしますの電話しようと思ったときに、前の席に座っている他部署の先般が
(自分は辞めるなど一言も相談した覚えが無いのに)、精神状態がよくないときは辞める判断しちゃダメだ。いますぐ健康管理室に常駐している産業医に相談に行ったほうがいい。自分がやらないと迷惑かかるなんて思っちゃだめだ。君がやれなくても変わりはいくらでもいる。仕事なんてすぐに回り出す。辞める前に休むって選択肢あるの、忘れてるやろ?休職中だって何割かの給料が出るんだ。
大げさかもしれないが、この数か月のあいだ全身を覆っていた分厚くて着心地の悪い着ぐるみのファスナーがちょっと開いて、風がすーっと入ってきた。
-------------------
それとともに、一連の作業が終わり、ながらく苦しんだ作業が新年度から他部署に移管されると聞き(まだにわかに信じられないけど)、あとはえーと、転職先にと選んだ会社は土日祝、年末年始、GWが休みじゃないってことを少し想像してみた。横着で遊ぶことばかり優先したい自分が果たしてその環境で本当に逃避が成功したってことになるんだろうか?一瞬今の状況から逃げ出せてもすぐにまた違う違和感でぐらぐら揺れたりするんじゃないか?
入社して30数年のあいだ、なぜだか10年単位で似たような事件が起き、鬱っぽい状態が起きてきた。
前回はちょうど30代最後の歳で自転車の練習に山へ登り、仕事のことを思い出してしまって足が止まり、ガードレールにつかまってポロポロ泣いてしまったのをカラスに見られた。
その前は真夜中に幽閉先から脱走しようとして守衛さんに見つかり連れ戻され、翌朝から丸三か月、仕事を休んで散歩ばかりしていた。
それぞれどうやって突破してきたのか今となっては思い出せやんけど、「どうにかなる なんとかなる」は本当だったと思う。
暗い顔した人間が狭い家の中にいることで小池さんにも随分迷惑かけた。なんかの折に、返したい。
月曜日に、面接してくれた会社には丁寧にお断りしようと思う。こんな事書いててもGW開けたら仕事変わってるかもしれない。けど、それでもいいと思ってる。
あとになって、あのときも今も、自分は変わらずダメ人間だったと忘れないように、日記に書いてみました。
相談に乗ってくれたみんなも、どうもありがとう。
最近のコメント