今年もよろしくお願いします。
「あけまして、おめでとうございます」と言えない正月がこの世に存在するなんて、思いもしなかったな。
年末26日の納会を終えたらその足で、八ヶ岳のどこかにテント持って行って年越しするプランをあれこれ考えながら出勤したのが24日。出勤するとすぐに小池さんからメールが来た。抱えてる仕事が年明けに先延ばしできるか考え、なんとかなりそうだと分かると次は後輩にいろいろお願いをし、上司に事情を話して早退した。
のちのち病院で思い出したけど、お客さんと一件だけ打ち合わせがあったのをすっぽかしてしまったが、連絡が無かったのでどうにかなったんだろう。
同じように小池さんから連絡を受けていたローラーJDと自宅で落ち合い、当分戻れない予感がしたのであらゆる種類のゴミを集めたり、水回りを掃除したり、着替えや、”もしものときの衣装”をそろえたりして、車で湖北の町へ向かったが、いつもは山に行くために飛ばす名神高速の景色をあまり覚えていない。
どきどきしながら個室のドアを開けて恐る恐る入っていくと、いろいろな装置から伸びた沢山の電線やパイプを全身に張り巡らせた義父がそこに横たわっていた。
ややこしい連中相手にややこしいレートで打つ・麻雀放浪記を地で行くような人が一応父親だったけど、高校に入学すると同時にどこかへ消えてしまった。あまりに気にもとめずに大人になって、ある日小池さんと所帯を持ったとき、義理でも一応父と呼ばねばならない人ができた。
呼ばねばと思いつつもあまり起用に接することができずにいつもボンヤリしていのに、そんな自分にとてもよくしてもらった。
そんな人が、苦しそうに酸素を吸って震える手で筆談している姿は、とても悲しくなった。
その日から、病院の中に泊まり込んだり夜中に実家を往復したり、小池さんと彼女の妹はほとんど寝ずに寄り添って世話をしたり。ただ献身的だったという美談ではすまされず、やっぱり家族全員どんどん疲れていく。
肺の機能が失われていくという病気だったけど、心臓の鼓動だけはまったく絶好調なので、どうにも手の打ちようがない。本人が苦痛を訴えるたびに投入する塩酸モルヒネの量だけが増やされ、その繰り返しで日が暮れて夜が明ける。安楽に死ぬこともできず、治る見込みもない。
家族は病室と待機ルームの往復とコンビニのおにぎりとカップラーメンと何日も風呂に入っていない体臭と頭髪のかゆみと細切れの睡眠とで、なんだかもうよくわからなくなってきた。
28日の午前に医師の招集で病室に入ると、呼吸のたびに血を吐き、あれほど正確に波形を刻んでいた心拍数が少しずづ、少しずつ、下がり始めた。
自転車のパフォーマンスを上げるために血道をあげて自分の心拍数を注視していた自分の目の前に起こっている現実が、よく理解できないでいる。
しばらくして、モニターのデジタル数字がすべてゼロになった。
納棺を手伝うときに6人で持ち上げると、その重さにびっくりした。けれどそんなにも重いのに、手に触れると氷のように冷たい。なにかの手段で冷やしたワケでもないのに、いままで触れたことのない冷たさ。
紅白歌合戦は、遺影と一緒に見た。
こんなトキに限って3万円近くするおせちを予約してたのが笑える。
一緒に食べたかったな。
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コメント
私も棺桶三回ほど担ぎましたがあの重たさはなんなんでしょう?
物理的に
投稿: ハム | 2015/01/03 00:50
途中できれてしまいましたm(__)m
物理的根拠はあるようですが
そんなの関係なく重いですよね。
投稿: ハム | 2015/01/03 00:58
●ハムにーさん、いつか自分が担がれる日のためにも、心身共に身軽に整理しておきたいですね。
投稿: ローラーおとこ | 2015/01/05 08:06