ヤマノボリは危険なのです
槍ヶ岳、一勝三負。
丸二日たっても、今回の山での行動が正しかったのかそうでなかったのか、ぼーんやり。
GWに、残雪の蝶ケ岳から眺めた槍の端正な姿に胸を打たれた小池さんが、その槍にこんどは自分の手を触れてみたいというので計画してみた。
代休やらで天気次第で流動的に行く予定が、ここのところ単身赴任先での業爆続きで(小池さんが)、この週末しか行けんことになってしまった。しかし、
天気予報はみるみるうちに右肩下がり。
日曜の午前3時に大阪を出て平湯まで。そっから8:40発路線バスに乗って新穂高の歩き出しが9:20ぐらい。
登山届けを書いた遭難対策協議会の小屋に張り出された天気図も、不安要素てんこもり。
上高地から槍をめざすと「ここは心斎橋かね?」ちゅーぐらいのヒトの行列が続くが、
こっち側はガラガラ。しかしこの林道、げっぷが出るほど長いし単調。本来はこんな緑の濃い、深い森の中を歩けることだけでも感謝せねばならんというのに、「慣れ」に甘んじてはいかんのだ。
ただただうつむいて消化試合をこなすように歩くと(山よ、すまん)
ようやくアルプスらしき指標が。しかしいとも簡単に奥穂高と書いてあるが、こっから7時間も登るちゅう現実。
ま、今回はそっちに行かないので若干気楽。
その横の看板をみると
へ~、途中に何本か川を横切るんか~、へ~、「注」てなんのこっちゃろ~、へ~
と他人事のように眺めていたが、このあとこの「注」がとんでもないことに。
この看板のすぐ先で、ようやく林道がおしまい。白出沢で、雨も降ってないので
こじゃれたランチなど。やすもんの魚肉ソウセイジも焼いたらなかなかの味。現場で塩もみしたキュウリも花を添える味なのだ。こらぁたまらん。
スタートからキッチリ4.5時間で槍平小屋に。上高地川の槍沢ヒユッテとおんなじで、水が豊富なのがよい。
四畳半を個室として使えた。ちなみに普段はこの四畳半は6人部屋なのだ。
どうやって布団敷くねんという疑問は、、、考えたらアカン。
テン場も広めだが、展望はどうかわからずいまい。
小屋としてはフツーに晩飯。ポテサラかと思って食べたら、マッシュポテトだったけどここは山だから全然許せる。
翌日の出来事など予想すらできず、7時に消灯。
翌日。槍アタックに備えて
5:30から、普段の暮らしでは考えられんほどに飯を食う。山に入ったときだけオバQ並みに食わねば、歩けなくなったらどーすんねん!?と。
ふと窓の外をみると、
午前3時ごろ発で槍から下山してきたと思われる、高校山岳部の一団がいた。アメなので気の毒になと思うも、境遇としては同じだと気付いてこちらも準備。30分ほどスタートを遅らせて様子を見ていたら、小屋から出ていくほとんどのヒトが「上」ではなく「下」を目指していく。
ケーブルテレビから流れる天気予報も、まったく好感の持てない暗いニュースばかり。それどころか、前線がまったく動いてないやら場所によっては大きな被害が出てるやら、このあたりの北アルプス南部もかなりヤバそうな匂いがするので、ソッコー下山開始。
三年前の記憶が鮮明にヤバイ!ヤバイ!と蘇るのだ。
そうだ、確かあのときも大雨(プラス台風)の中、下山できずに山小屋を貸切&満喫するハメになったのだ、これは急がねばと来た道を必死で下れば
気楽にわたれたこの橋が
こんなことに。(このあと、橋が流されたそうです)
サンドイッチをへらへら食べたこの場所も
このとおり。悪い冗談かと思う光景。自分たちが何とかかんとか渡りきってすぐ、足場に使った岩は濁流に飲み込まれてしまい、後続のパーティーは茫然と対岸に立ちすくんでおられました。
もう、どうすることもできず、、、、。
悪夢のようなアトラクションを終えたときは、自分も小池さんも緊張強すぎたのがノドがはりつくぐらい渇いてた。
出発があと数分遅かったらとか、途中でぼやぼやしてたらとか、もう思い出してもゾットする。
「やらずに後悔するならやって後悔しよう」などという言葉があるけど、
山でそれは絶対アカンと思う。
やって後悔=イコール 遭難かと。
あとで知ったが、この日は100ミリを超える雨が降り、多くの登山道が崩壊したり橋が流出したりだと。
不思議なもんで、晴天の中登れた山も記憶に残るが、うまく登れなかった山もあとあと印象深いものだな。
無事に帰ってこられたからコソだな。
ありがとう、山。
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