要塞は地獄だよ
糸倉庫の一部。材質、太さ、用途、価格、いろいろあって使い道もいろいろ。自転車のパーツでも、例えば車輪のスポークだっておんなじ鉄のほっそい棒に見えるけど、それぞれに味があって違うしね。
要塞の窓の横5mで”海”。ミシンをぶんぶん踏んで(実際にはモーターがぶんぶん回ってるだけ)フッと外みたら、なんか潮騒とかそういう音でぼ~っと出来ます。自分の洋裁のレベルは中学家庭科の辺りから一進一退。
いちばん難しいのは、作りたい服の設計図「型紙」の作成で、定規・計算式・野生のカンの三つが渾然一体となって調和が取れたときに完成します(するそうです)。小さなデザイン事務所でやってたオカンも時代の流れに翻弄されつつも、50歳後半になって有無を言う暇も無く、CADシステムの波に飲まれ溺死寸前であっさりクリア。やっぱり人間、「アトは無い」という場所に身を置くと、クソ力が出るのか。
まぁ、どこのオカンも「やるときはやる」のだわ。だから世界中”おかん”という称号なのよね。
今は田舎で、洋裁ツアーなるものをコッソリやってます。一泊二食付きで洋裁教室やってるらしい。ビギナーも、手ぶらでOK、お帰りにはご自分でこしらえた衣装着用でお帰りいただくという、まことに胡散臭い宿やってます。よろしければお問い合わせください。冬には蟹もありんす。
※なんか宣伝記事の投稿でゴメン。普段は年金だけで生きてます(生きてるらしいです)。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
隣町で暮らすワタシのオカンも今年で77歳になるハズ。ちょくちょく次男を連れて顔は出すのですが、「感謝」の気持ちをどう「還元」していこか、これからのテーマです(笑)。しかし母上様「洋裁ツアー宿」とは、さすが大阪のオカン、発想が違いますね。
投稿: kiyo_g | 2006/07/08 22:22
アニキ、ども!です。「洋裁ツアー宿」とは、これまた、アイデアですね。実は、うちの親父…洋服仕立業でした。中学卒業して「でっち奉公」ってのに出て、45歳頃まで、ずっと来る日も来る日も背広とズボンを仕立ててました。お客様からは、着た時に、しわが出ない!好評だったようです。私の中学の制服も、一旦解体して、修正したものを着てました。
でも…技術力はあっても、給料は上がらず…45の時に、郷土菓子の職人に…
そんなこんなで、懐かしく糸倉庫の写真を眺めてました。
投稿: bfz | 2006/07/09 22:17
●kiyo_gさん、離れて暮らしているせいもありますが、「生きている間に、あと100回も会えないだろうな」と最近思い始めて。まぁ、片道3時間強で到着するので、今でもブツクサ文句の言い合いもしますが、それも含めて「感謝」かなと思ったりですね。
●bfzアニキ、お疲れ様です。生きていくのに(多分)必死だった親の時代に比べたら、自転車乗るのに必死な我々は、チョ~幸せです。むかしのひとたちに「感謝!」。
投稿: ロ・おとこ | 2006/07/10 10:07